量子くんも黄昏れたい

僕はもうすぐ、「仕事」から解放される年齢になった。

なので実は、「量子AI」で産業構造・社会に大変革が起きようが、それを観客席側から見守っていられるような、ちょっとずるい位置にいる。

ここ、タイトルの「Twilight With Qubit」の「Twilight」とは、のんびり黄昏れる僕自身なのだ。

 

けれど、せっかく量子AIに関する記事を書こうしているのだから、タイトルに「量子、Qubit」を入れたい。

なので、「Twilight With Qubit」というタイトルになった。

 

ただちょっと、違和感があって。

量子(Qubit)はそんな、もうすぐ引退する人間の横に寄り添ってくれるような例えが正しいのだろうか?

エキサイティングで、爆発的なエネルギーをもった「怪物」なんじゃないか。

言葉のバランス、取れているかなぁ、と気になっていたのだ。

 

けれど今日、だいたいわかった。

量子は安定したいのだ。

「喧噪」を押しつけられ、「危機」を感じた量子くんは、安定を求めて回転する。

そしてある場所に落ち着く。

その結果が、「喧噪」を押しつけた人達への「最適解」となり、人々への生活に変換される。

 

そんなイメージだと思う。

僕が黄昏れている傍に量子くんもいる、というイメージは、あながち間違いではなかったと思う。