量子コンピューターの記事、動画を見ると、「誤り訂正」という言葉、よく聞きますよね?
なんか難しい。
https://note.com/quantum_note/n/n75b6846733a5
僕のような素人では絶対に理解にまで辿り着けない、ということが理解できる。
けれど「これは完全には理解できないなぁ」という諦観とは別に、以下のような違和感をもっていた。
「量子くんが誤るって、なんだそれ?」、彼らは万物の真理なはず。誤るってなに?、そんなことあるの?
「1つの量子くんを守るために、数十~数百の監視量子軍団が必要」。なんて面倒!、なんか変だ。。。
なので今回は、上記について、
「量子くんたちは間違っているわけではない。人がそう言ってるだけ」
「1つの量子を数十~数百の量子で守る。この戦略、実は妥協の産物」
「1つの量子ビットを100の量子で見守る。それくらいなら実用的」
という、僕なりに辿り着いた結論について、考察したいと思います。
量子くんは
古典AIと量子AI(1)、古典AIと量子AI(2)で書いた通り、量子は安定化することこそが存在意義だと思う。
そして、古典AIと量子AI(3)のように、人は無限の探求・欲望の結果、量子くんに「このカレー粉、もうちょっと美味しくして」とお願いしているのだ。
なのに、「お願い」しているのに、「誤りを訂正」するとは、どういうことだろう?。
言っていることに違和感が拭えない、なんか偉そうだ(僕は基本的に、量子くんたちの味方なのだ)。
誤りとは
そもそも、訂正しなければならない「誤り」とはどういうことか理解したい。
たとえば我々は、「より軽くて固い鉄を作りたい」という観点で量子コンピューターを活用しようとしている。
そして、鉄の分子的(結晶的)構造と、「ちょっとこうして見て」というささやき(思惑)を、量子ビット群(量子チップ)に与える。
そうすると、量子くんたちは、自分達の行動の結果として、最適化された「次の分子構造」を見せてくれる。
つまりこの時、人の思惑とは違うことを量子くんたちがしようとすることを、「誤り」と言っているのではないだろうか。
たとえば、人は今回量子チップに投影した分子構造のなかで、
・量子くんAには、ずっと下を向いていてほしい。
・けれど量子くんAは、今の環境なら、近所の量子との関係からすると、上を向いたほうが居心地が良い
・なので量子くんAは、そうする。
・しかし量子くんAに、人はそんなこと求めてない。
だから「量子くんA、間違ってるよ!」と言っているのが、量子業界での「誤り」という用語の使い方。
(補足)上記例はかなり大雑把だと自分でも思っていますが、雰囲気を感じてください。
誤り訂正とは
つまり「誤り訂正」とは、「人の思惑とは違う挙動をしようとしている量子くんA」を、人が想定する流れに戻す・直す行動である。
もう少し抽象的に言うと、
・量子は安定化したい。安定化への道こそが自由への道。 ※固定化こそが心理
・近隣量子との関係(+ささやき)によって、その道筋は変化する。 ※物質の多様性
・宇宙線、電磁波、温度、相互干渉によっても、状態は変化する。 ※これが「誤り」
・なので、その「誤り」をなんとか直すことを「誤り訂正」という。
量子くんAが、なんか変な方向に向いているのを、「なんか変です」と報告を受けたら、「そっちじゃない、こっちだ」だと行動を訂正しているのが、「誤り訂正」。
量子は「なるように」「自由に」動きたいだけなのに、それを制限・制御しようとしている。
量子の自由を守る技術ではなく、人間の都合のために”自由”を強制する技術。
ということだと思う。
1個の量子を数十~数百の量子で監視する?
いったんここまで。日曜日の午前中を投稿作業に使ってしまったので。
1個の量子の状態を正しく(思惑通りに)するために、なぜ数十~数百もの量子で監視する必要があるのか、けれどそれもある意味、妥協しているのではないか、というか、そもそも、めちゃめちゃ大変じゃないか。。。
このあたりについての考察は、次回とします。